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LOVE TRAIN

CSCL-1162
1977/05/21 released
BACK
sound 01雨の日のささやき
sound 02恋に気づいて
sound 03君に会うまでは
sound 04愛のかけひき
sound 05君の微笑
sound 06ラブ・トレイン
sound 07ラストダンス
sound 08五月の風に
sound 09悲しみ深すぎて
sound 10行かないで
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Produced by 鈴木幹治(東京音楽出版)
Directed by 蔭山敬吾(CBS/SONY)
Sound Produced by EDISON
Recorded and Mixed by トミー和田

Drums 村上秀一
Bass 小原礼 岡沢章
Keyboard EDISON
Electric Guitar 大村憲司 安川ひろし
Acoustic Guitar 吉川忠英 矢島賢 笛吹利明
Percussion 斉藤ノブ
Backing Vocal 町支寛二

Photographer 若杉憲司
Designed by 佐藤徹

Freedom Studio. Epicurus Studio
君に会うまでは

腕組み歩くよ 夜の町 ふたり
踊り疲れて 少しだけ お酒も飲んで
最終電車に遅れないように
いつもは もう 駅への道を歩いている頃なのに
今夜は そっと時計を君はバッグにしまい
僕も気づかない振りで どこまでも歩くよ
古い橋の上から 電車が行くのを見ている
少し震える君の肩先 「僕のセーターかけなよ」

君に恋して気づいた 僕はまだ子どもだと
それとも 初めて自分を見つけたのかな

またひとつ町の灯り消えてゆくよ
愛したことなど一度も無かった
こうして君に会うまでは
 「どんなジャンルであれ、デビュー作にその創作者の全てが入っている」とよく言われますが、オレの場合、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムであるこの『ラブ・トレイン』を合わせたものがデビュー作なのかな、と後になって思うようになりました。歌詞に重きを置いたロックなテイストの1作目、そして、子どもの頃夢中で聴いたポップ・ミュージックを下敷きに、メロディーを大切にした2作目。『生まれたところを遠く離れて』のシリアスな歌詞や力が入り過ぎている感のあるヴォーカル、これらに対して「浜田はもっとメロディアスでポップな曲が作れるじゃないか、その魅力を生かしてないよね…」ということで、2作目はとにかくいいメロディーを作ろう、ポップなアルバムにしようということになったんですね。

 環状7号線沿いのアパートの部屋は落ち着いて曲を作れるような環境ではなかったので、毎日散歩というか、一日中歩き回ってメロディーを考えてました。下北沢あたりは本当によく歩いた町のひとつです。『愛のかけひき』は朝部屋を出て、夕方戻った時に出来上がっていたのを覚えています。メロディーを作ること、詞を書くことに凄く苦労したという記憶は無いです。今でも好きな歌が沢山入っているアルバムです。『雨の日のささやき』『君に会うまでは』『ラストダンス』『行かないで』…どの曲も型にとらわれず、伸び伸びと書いているところが良いと思います。
 『ラブ・トレイン』の作詞は松本隆氏です。松本さんが作詞家としてスタートしたばかりの頃です。後一年遅かったら忙しすぎて、依頼は断られていたでしょうね(笑)。松本さんと言えば、愛聴していた『風街ろまん / はっぴいえんど』ですから、どんな詞が出来上がってくるんだろう、って楽しみにしていました。正直言うと最初は驚いたんですよ、イメージしていたものと違っていたから。今、この歌詞を読むと実によく書けている、まさにプロの作詞家の歌詞だなと思うんですが、当時は「はっぴいえんど」のイメージがあったから戸惑いましたね。それで、もう少しリアルな感じを出して頂けますか?と伺いを立てたら、「それは歌で表現して下さい」と返事が返って来て、お見事!一本取られました、って感じでした(笑)。

 不思議なことに、そんな風に曲作りのことはよく覚えているんですが、レコーディングやMIXのことになると全くと言っていいほど何も覚えてないんですよ。頭の中にレコーディング・スタジオの映像が全然浮かんでこない(笑)。どうしてだろう?…謎です。ヴォーカル・ダビングもどこのスタジオで歌ったのか覚えてません。
 ヴォーカルと言えば、このアルバムに関して一番悔いが残ったのは歌ですね。ファースト・アルバムでは目一杯力んで歌ったので、その反動というか、ポップな感じでいこうというのを意識し過ぎて今度は柔らかく甘くなり過ぎているんですよね。あとKEYの設定が全体的に高いです。歌っている時の高揚感はKEYが高い方があるのですが、自分に相応しいKEYを見つけることがまだ出来ていない時期でした。

 サウンドに関しては、アレンジャーのエジソンさんは「音数の少ないシンプルなアンサンブル」を目指していたんだと思います。ただMIXの段階でエンジニアの方との相性、もしくは意志の疎通に問題があったのか、思い描いたサウンドになっていないのでは無いか、と察します。今だったら、「やり直そうよ、やり直すとしたらこうしよう」という環境も経験もあるけど…当時はやり直すということは考えられないことでした。スタッフ、ミュージシャン、それぞれがベストを尽くして作品というものは作られるわけですが、最終的には「誰々の作品」として名付けられ、大袈裟に言えば、そのアルバムを背負い、一生付き合っていくのは本人ですから、納得がいかなかった場合は落ち込みますよね。正直暫く落ち込んでました。しかし、それが誰の責任なのか、突き詰めれば、結局は自分の責任なんですよね。

 『生まれたところを遠く離れて』から『君が人生の時…』までの70年代に発表した5枚のアルバムを廃盤にしたい!なんて話を、本とか雑誌のインタビューやステージのMCで、自虐的な笑い話にしていましたが、それらはまさに習作時代の作品で、自分の中の迷いや弱さやふがいなさが現われている、それを見るのが辛く恥ずかしいんですよね(笑)。でも、この時期があったからこそ後の自分があるわけです。そして、その時期に潰れずに、持ちこたえ、乗り越えることが出来たからこそ、客観的に振り返ることが出来るようになったわけです。もっと視野を広げると、日本のロックやポップ・ミュージックに関わっていた全ての分野の人達もまた皆まだ若く経験も浅かったと思います。みんな学習していた時期です。そして、それが花開くのが80年代、実がなるのが90年代だったのかなと今になって思います。

 リリース後の反応は「一体、路地裏の少年はどこへ行ったの?」と皮肉っぽく言う人もいれば、「本来の浜田らしさが出て、このアルバムいいじゃない!」と言ってくれる人もいて、送り手と聴き手というのは違うものなんだな、ということも学びました。
 ラガー・シャツとサッカー・パンツにテニス・シューズ、サングラスに長髪…、これもまた後によくステージのMCでジョークにしていたレコード・ジャケットですが、実は全然嫌いじゃないです。確かに最初はどうなんだろうこれ、オレに似合ってる?って感じでしたが、時が過ぎて、今は色んなことが理解出来ます。何せファースト・アルバムの表一の衣装といったら、母親のカーディガンに親父のジャンパーですから(笑)。ディレクターの蔭山さんもプロデューサーの鈴木さんも今度はちゃんとしてあげよう、と思ったのでしょうね(笑)。アルバムはポップな仕上がりだし、二人ともファッションに通じていたので、当時流行のスポーティー・ファッションを取り入れたんですね。しっかりマーケティングされたポップなレコード・ジャケットになってます。レコード店の店頭に並んだ時に目をひくようにというスタッフの意図が強く伝わります。

 とにかく、このセカンド・アルバムはファースト・アルバムの蹉跌を反面教師にした、ある種「鏡」のような作品です。そういう意味で二枚合わせてデビュー・アルバムかな、と思います。二つのアルバムの持ち味をバランス良く最初から出すことが出来たらよかったのでしょうが、振り返ってみて……うーん、無理だったでしょうね(笑)。結果的には、それがちゃんと出来るようになるまで、あと数年かかることになります。

 このアルバムがリリースされた後、ライブには町支くんがサポート・ミュージシャンとして参加してくれるようになります。AIDOのライブと重なっていないかぎり、駆けつけてくれましたね。何せオレはドラムのスティックからギターに持ち替えて一年という状態でしたから、彼のサポートの頼もしかったことといったら…(笑)。彼はいつも陽気で、結構きつい状況の演奏旅行だったのですが、一言も不満の言葉を漏らすこともなく、ミュージシャン・エゴを出すこともなく、心よくサポートに徹してくれました。安宿で過ごす夜、夜行列車での長い移動時間、オレ達は暇を持て余して、よくカード・ゲームをしました。普段あんなに温和な町支くんですが、負けず嫌いな性格の凄いこと!勝つまで寝かせてくれないんですよね(笑)。その後30数年、ずっと一緒に演奏旅行を共にしています。