DISCOGRAPHY
1st ALBUM生まれたところを遠く離れて
SECL-3001
2021/06/23 2021 DIGITAL REMASTER
1976/04/21 released
- 01路地裏の少年
- 02青春の絆
- 03朝からごきげん
- 04雨上りのぶるーす
- 05悲しい夜
- 06街角の天使
- 07壁にむかって
- 08HIGH SCHOOL ROCK & ROLL
- 09生まれたところを遠く離れて
- 10とらわれの貧しい心で
Produced by 鈴木幹治(東京音楽出版)
Directed by 蔭山敬吾(CBS/SONY)
Sound Produced by 浜田省吾
Recorded and Mixed by 前島裕一
Strings Arrangement by 福井峻
Horn Arrangement by 村岡建
Drums 岡本あつお
Bass 秋本良一
Piano and Keyboards ジョン山崎
Electric and Acoustic Guitar 青山徹 町支寛二
Acoustic Guitar 浜田省吾
Trumpet 羽鳥幸次 中沢健次
Trombone 新井英治
Tenor Saxophone 村岡建
Baritone Saxophone 岡崎広志
Photographer 安斎重男
Designed by 佐藤徹
Co-Producer 川瀬泰雄(東京音楽出版)
CBS/SONY 六本木Studio
朝からごきげん
白いベッドに残る 甘いお前の香り
水色の風が 窓の花散らすと
秋は もうすぐ そこまでなんです
だから 髪をほどくんだよね
粋な昔の唄 鏡に映しながら
亜麻色の瞳 何か言いたそうだな
窓の外は強い陽ざし
陽炎に都会は溶けてしまうよ
もう何も想わずに 何も言わないで
ただそっと見ていたい ただそれだけさ
誰かが塀の向こうで いかれた歌 うたうよ
「おれ達で終わりの世代さ あきらめな!」
穏やかな黄昏が舞い降りて
夕立 僕は待ってる
当時住んでいた部屋を思い出します。まさに「4畳半ひと間」の木造アパートの一階。
窓の外は、日本一交通量が多いと言われる、悪名高い環状7号線。AIDO時代の1975年から78年春までの3年半暮らした小さな部屋。とにかく家賃が安い、それだけで借りてしまった。下見の日は日曜日で交通量が割りと少なかったので気にしなかったけど、暮らし始めて分かった、凄い場所に引っ越してしまったとね(笑)。木造なので騒音だけでなく振動が凄い。真夏、窓を開けると騒音と排気ガス、閉めると暑くて死にそう。普通の日は大型トラックの群れ、週末は暴走族って具合で、マジでノイローゼ状態でした。引っ越したくても、未払いの楽器のローンとかあって、ギリギリの暮らしで身動きがとれませんでした。
ファースト・アルバムは、そんな素晴らしい、まさに絵に描いたようなロックンロール的状況の中で作ったのです(笑)。曲に関しては、『壁にむかって』は74年、バッキング・バンド時代に旅先で書いたのを覚えてます。『雨上りのぶるーす』『生まれたところを遠く離れて』は既にAIDO時代に出来ていて、よくステージで演奏していました。青山徹くんのギターはバンドの中において別格で、素晴らしいプレイをしてました。『AIDOのテーマ』を書いたのも、『二人の夏』の間奏にビーチボーイズの『恋の夏』の一部を入れたのも、彼のギターをフィーチャーすることを常に意識していたからです。『生まれたところを遠く離れて』はライブではドラムを叩きながら歌ってました。この歌が出来た時、この長い長いブルース調の曲を電話口で歌い、ディレクターの蔭山敬吾さんに聴いてもらったのを覚えています。今思うと、さぞ迷惑だったでしょうね(笑)。『遠くへ』『19のままさ』『あい色の手紙』など後のアルバムに入っている歌もこの時期に書いたものです。
「たとえ制作出来たとしても、これが最初で最後のアルバムになるかもしれない」そう思っていたので、とにかく自分のやりたいことをやる、ポップである必要なんて無い…って、かなり眉間に皺が寄った感じでした(笑)。そんなことだから、幾つかの事務所にデモ・テープを持って行きましたが、「ヘビー過ぎる」ということで断られました。蔭山さんのCBS/SONY社内での説得、音楽出版会社やプロダクションへのプレゼンテーションのおかげで、最終的にはAIDOと同じく、再び東京音楽出版のプロデューサーである川瀬泰雄さんが引き受けてくれました。ただ、「アルバムはさて置き、シングルだけでもポップ感のある歌が欲しい」と言われました。1975年12月28日の夜、22歳最後の夜に『路地裏の少年』を書き、年が明けて、この曲を聴かせた時、川瀬さんに「浜田くん、これでアルバムが作れるね」と言われたのが印象的な思い出です。
このファースト・アルバムから今日に至るまでの制作プロデューサー鈴木幹治さんがプロデューサー兼マネージャーとしてオレの担当になったのもこの年、1976年です。川瀬さんはチーフ・プロデューサーという形で一歩引いたところにいて、鈴木さんが現場のプロデューサーでしたが、このファースト・アルバムに関しては蔭山さんとオレの絆があまりに強くて、色々思うところもあったのでしょうが、何も口出しできないという感じで、きっとフラストレーションが溜まったと思いますよ(笑)。
レコーディングに関しては、リハーサル・スタジオでサウンドを練って、レコーディング・スタジオに入るというスタイルでした。基本になるリズムパターンやイントロなどのメロディーやテーマは自分で考えましたが、リズム・セクションに関してはミュージシャンと一緒に音を作るというものでした。『路地裏の少年』のベース・パターンは秋本良一さんのアイデアですが、フォークロック的な曲に新鮮な味付けをしてくれてますね。
AIDOから岡本くん、青山くん、町支くんが参加してくれました。馴染みの仲間だったので安心感がありました。『生まれたところを遠く離れて』の青山くんのギターソロはレコードにおいても素晴らしいものです。
少し年上のジョン山崎さんとは初めてのセッションでしたが、彼のレイドバックした感じの佇まいは印象的でした。音楽のことだけではなく、色んな事を話しました。「それで、君は音楽で一体何がしたいの?」という質問を彼にされたのを覚えています。いい質問ですよね、今なら「聴いてくれる人達を楽しませたいんだ」と答えられるのでしょうが、あの頃はまだ子どもでしたし、尖ってたし、色んな想いがまとまりなく浮かんだだけで、何も答えられませんでした(笑)。彼には音楽がどういうものか見えていたのかもしれません。
『青春の絆』のレコーディングの時、スタジオの非常ドアを開けて外の階段に出たら雪が降っていた、その情景を思い出します。アルバムの中で今でも好きな曲は『青春の絆』『朝からごきげん』『とらわれの貧しい心で』そして、『路地裏の少年』かな。
写真は安斎重男さん。優しい方でした。そして、とても自然な写真を撮って下さってます。今でも好きなカバー・ジャケットです。表一はリハーサル・スタジオのスナップ。風邪ぎみで重ね着してるんですよね。母のカーディガン、父のジャンパー、スリムなジーンズ、白のコンバース。当時持っていた服の全てといっていいです(笑)。
写真の左端に写っている足、あれって蔭山さんの足なんですよ。何だか象徴的ですよね、彼の情熱と愛情があったからこそ出来たレコードですからね。「浜田みたいなソング・ライターは日本にはいない、いつか絶対に認められる」って、いつも励ましてくれました。AIDOのデビュー・アルバムと同じく、蔭山さんと川瀬さんがこのアルバムの恩人です。
表四は新宿です。後ろに写っているビルは新宿西口に建設中の二つ目の高層ビル。あの場所が当時東京を象徴しているようで好きだったので選びました。女の子と腕を組んで歩く…というのはボブ・ディランの『フリーホイーリン』そのままです(笑)。今だったら考えられないですよね、叱られますよね。でも、あの頃は無邪気なもので、「好きなんだからいいじゃない、あの感じにして下さい!」って(笑)。
このアルバムがリリースされた頃、中東戦争によるオイルショックというのがあって、塩化ビニールが不足していたために、新人のレコードのプレス枚数は極端に少なかった。とにかく厳しい状況の中でのデビューでした。ライブをやるといっても、まだライブハウスはごく僅かで、歌える場所ならどこでも歌うという感じでした。ギターを弾きながら歌うわけですが、チューニングもちゃんと出来てなくて…毎日が冒険でしたね(笑)。
ソロでやるステージというのは、その日の気分、体調がそのまま出てしまうんですよ。だから、いいステージとひどいステージが極端に違ってしまう。しゃべりもギターも歌もヘタクソでね。でもあの時期に鍛えられ、得た経験が後のステージ・パフォーマンスの基礎を作ってくれたと思ってます。
初めての演奏旅行で行った北海道の自然には感動しました。鈴木さんとCBS/SONYの北海道担当の方と三人で車にギターを積んで道内を回って、酒場や居酒屋みたいなところで歌ったんですが、仕事よりもその旅が楽しくて「この仕事って楽しいかも!」って思いました。ファースト・アルバムで終わりになるかもしれない、それでも仕方ないと思っていたのに、もっと続けてみたい…と思ったのは、今になってみると、ミュージシャンの本能として、演奏旅行に魅力を感じたのかもしれません。