DISCOGRAPHY

cd-img

3rd ALBUMIllumination

CSCL-1163
1978/09/21 released


  • 01涙あふれて
  • 02グッドナイト・トーキョー
  • 03片想い
  • 04恋人達の舗道
  • 05汐風の日々
  • 0625番目の夢
  • 07ガラスの恋
  • 08散歩道
  • 09からっ風のララバイ
  • 10Midnight Blue Train

Produced by 鈴木幹治(東京音楽出版)
Directed by 蔭山敬吾(CBS/SONY)
Sound Produced by 水谷公生
Recorded and Mixed by 吉田保

Drums Robert Brill
Bass 岡沢茂
Piano and Keyboards 佐藤準
Guitar 水谷公生
Acoustic Guitar 笛吹利明
Percussion 斉藤ノブ
Saxophone Jake H.Concepcion
Backing Vocal 町支寛二

Photographer 横木安良夫
Designed by 佐藤徹

Rockwell Studio. Freedom Studio.
Sound City Studio

散歩道

雨上がりの街角 雫流れるショウウィンドウ
あの娘にセーター 買ってやりたくて
ポケットさぐれば 小銭が少し そして ため息ひとつ

ケンカするたび 僕は 「悪いのは みんな君だよ」と思い込ませた
哀れなあの娘 涙に濡れて
「どうしていいか わからない」とうつむいた

哀しい夢をみた
僕の名を呼ぶ あの娘が誰かに連れ去られてく夢
……悪いのは僕 許して 悲しい思いさせて

小さなともしびを 吹き消した夜
あの娘は朝まで泣き通しで泣いた
……悪いのは僕 許して 悲しい思いさせて

駅前の並木道 あの娘の好きな黄昏
悲しいことは何も無かったような笑顔で
僕の肩に頭をのせて 帰る 散歩道

この3作目のアルバムのための作詞には長い時間が必要でした。自分が一体ソング・ライターとして何を書き、シンガーとして何を歌いたいのかが見えなくなりつつある状態でした。とにかく、まずメロディーを作って、それをアレンジャーに渡し、リズム・トラックをレコーディングし、それを聴きながら歌詞を書くという作り方でした。『Good Night Tokyo』『恋人達の舗道』など職業作家的な書き方をしたものもあれば、『散歩道』『Midnight Blue Train』といった歌はシンガー・ソングライター的な歌になっています。苦しみながら、およそ一年かけて少しずつ歌詞を書いていった記憶があります。

ギタリスト&アレンジャーである水谷公生さん、レコーディング&ミックス・エンジニアの吉田保さん、この二人は共に優秀で、作り出すサウンドはとても質の高いものでした。そして、参加してくれたミュージシャン達の演奏はこの国のトップクラスの感性と技術に裏打ちされたものでした。ヴォーカル・ブースにいて、サウンド・チェックの時みんなが自由にジャム・セッションをしているのをヘッドフォンで聴いているわけですが、それが素晴らしくてね、自分の曲はそっちのけで、ずっと聴いていたいと思いましたね(笑)。編曲する水谷さんも、演奏するミュージシャンも歌詞の無い状態で演奏するわけですから、自由と言えば自由ですが、やりにくかったのではないかと察します。このアルバムの制作をきっかけに、その後長く一緒に仕事をすることになる水谷さん、吉田さん、佐藤準さん、岡沢茂くんとの出会いがありました。

レコーディングの初日のことは、今も笑い話として語り草になっています。水谷さんをはじめ、当時はみんな若くて尖がっていて、ミュージシャン達は自信に満ちていて、スタジオ内の無名のシンガーの存在など無いも同然でした(笑)。プロデューサーの鈴木幹治さんはロック・バンド「モップス」出身で、ドラマーであったということもあり、特にテンポやノリ、リズム・セクションに対する要望は厳しいものでした。そこで、一曲目のセッションから、アレンジャーであり、セッションのリーダーである水谷さんと衝突することになったのです。「ロバートと茂のリズム・セクションが気に入らないなら、レコーディングは中止だ、中止、もう帰る!」ってな感じで、大荒れの初日でした(笑)。でも、そんなことを乗り越えながら、次第に打ち解けていったんですよね。でも、オレは毎日スタジオに行くのが嫌で嫌で…(笑)。この頃はサウンドに関してはアレンジャー任せで、オレはガイド・ヴォーカルのために、まだ歌詞が書けていないので、ラララとメロディーを歌うだけでしたから、スタジオ・ワークに楽しさを感じるのは難しい状況でしたね。

新しい出会いがあったと同時に、辛い別れもありました。このアルバムがリリースされた直後だったと思います、ディレクターの蔭山敬吾さんが人事異動で制作を去ることになったのです。最も信頼し、心を許し、頼りにしていたディレクターだった彼が現場から去っていくという事態に対して強い憤りを覚えました。しかし、当時のオレは無名の新人で発言力など全くありません。CBS/SONYは企業です。その人事に音楽出版社は口を出すべきでは無いということで、それを受け入れるということになりました。その後、今日に至るまで4名のディレクターがオレの担当になり、社長に至っては12名の方が就任しているわけですから、今なら企業の形態や考え方、そして、人事というものを理解することが出来ますが、当時は怒り、そして呆然としていました。
作詞の幅が広がるよう参考にしてはどうかと、歌謡界で活躍する作詞家の本や歌詞集を頂いたことが何度かあります。ジャクソン・ブラウンの音楽を紹介してくれたのも蔭山さんです。スタジオやミーティングの場が明るくなるように、いつも広島弁で冗談を言って皆を笑わせてくれるのですが、その内面はポール・サイモンとボブ・ディランをこよなく愛する繊細な心の持ち主でした。

レコード・ジャケットは京王プラザ・ホテルの部屋で撮影されたものです。当時はまだ環状七号線沿いのアパートの小さな部屋に住んでいた頃ですから、アダルト・コンテンポラリー的なイメージの写真と実際の暮らしは随分違ったものでした(笑)。
 専属契約料という意味合いで給与を貰っていましたが、当時の同世代、大卒者の初任給の半分くらいの額だったと思います。そこから楽器のローンの支払い(笑)があったりして、とにかく苦しい暮らしであったことは確かです。そんな状況を察してか、ソロとして成功しなかった場合を想定してか(笑)、山口百恵さんをはじめ、多くの歌手のプロデュースを手掛けていた川瀬泰雄さんから「ポップなメロディーを作る才能を生かして、仕事をしてみないか」と、彼が担当している歌手のシングルのB面であったり、時にはA面であったり、アルバムの中の一曲であったり、作曲家としての仕事を依頼されました。その仕事で得た収入は決して大きなものではありませんでしたが、音楽人生の苦しい時期をしのぐ糧になりました。
 オレもビートルズは大好きですが、川瀬さんのビートルズに関する知識に比べると十分の一にも満たない感じでね。オレたちはよく会社の応接室でギターを弾いてビートルズのナンバーを一緒に歌ったものです。

AIDOが解散し、町支くんに常にライブのサポートを頼むことが出来るようになったのもこの頃です。これもステージのMCで笑い話にしていましたが、宿泊費と移動費がオレとマネージャーの二人分しか出ないので、プロデューサー兼マネージャーの鈴木さんが演奏旅行に同伴するより、町支くんが来てくれたくれた方が助かる…(笑)ということで、町支くんにギタリスト兼マネージャーという役をやってもらった時期もあります。地方のラジオ局に行って、「よろしくお願いします!」と番組ディレクターに挨拶して、演奏して、ギャラを貰って、経費の領収書を整理して…(笑)。大変だったと思います。

星勝さんと初めて仕事をしたのもこのアルバムを制作していた時期です。『木枯しの季節』というシングルの編曲をして頂きました。星さんと鈴木さんは同じ学校の同級生であり、「モップス」時代のバンド仲間なんですよね。星さんとはこのシングルから11年後に“Wasted Tears”で再会することになります。このシングル盤のB面『独りぼっちのハイウェイ』は高中正義さんのアレンジです。ドラムは高橋幸宏さん、ベースは小原礼さん、キーボードは今井裕さん、つまりサディスティック・ミカバンドのリズム・セクションです。鈴木さんはプロデューサーとして誰がアレンジャーとしてオレの作る歌に合っているか探していた時期なのでしょうね。

この出来上がったばかりのシングル盤を持って、AIDOのベーシストだった高橋信彦くんのアパートを訪ねたことを思い出します。当時はレコーディング・プロデューサーと現場のマネージャーを鈴木さんが兼任してくれていたのですが、この二つの仕事は全く違う性格を持っていて、現場のマネージャーという部分では年上ということもあり、オレの方で遠慮してしまうことがありました(笑)。ということで、同世代の人に現場のマネージャーをやってもらいたいと思ったわけです。事務所から了承され、いざ人材をと考えてみても思い当たらない。そこで、高橋くんはどうだろうと思いました。彼は信頼出来る人間だし、頭脳明晰だし、オレのこともよく知ってるし、ということで頼みに行きました。当時彼は真面目に社会人をやっていたんですよね(笑)。彼がどう考え、迷ったかは分かりませんが、数日して返事がきて、現場のマネージャーという仕事を引き受けてくれました。同じ音楽の世界といっても、ミュージシャンとスタッフでは全く違う仕事ですし、口数の少ない物静かなタイプの人なので慣れるまでは時間がかかったようです。そして、現在、オレの所属する事務所「Road and Sky」の代表取締役です。

BACK