DISCOGRAPHY

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8th ALBUMON THE ROAD

SECL-3008
2021/06/23 2021 DIGITAL REMASTER
1982/02/25 released


  • 01壁にむかって
  • 02明日なき世代
  • 03土曜の夜と日曜の朝
  • 04陽のあたる場所
  • 05路地裏の少年
  • 06終りなき疾走
  • 07独立記念日
  • 08反抗期
  • 09東京
  • 10愛の世代の前に
  • 11Midnight Blue Train
  • 12ON THE ROAD

発売当時はアナログ盤2枚組。“RECORD TWO”が45回転の12インチシングル形式で、A面「路地裏の少年」とB面1曲目「Midnight Blue Train」がライブテイク、B面2曲目にスタジオ録音の「ON THE ROAD」。田島照久さん撮影の8Pにわたる大判ステージ写真集も貴重だ。雑誌広告のキャッチコピーは「みんなが、同じ夢をわけあった」だった。

 このライブ盤のために「ON THE ROAD」という新曲を書いて、その年の3月から始まるツアーからタイトルを“ON THE ROAD”にしました。“ON THE ROAD”という言葉は、曲を作るのとツアータイトルを考えるのと、ほぼ同時に生まれたんだと思う。
 アルバム自体は1982年1月の日本武道館公演と前年のホールツアーの広島郵便貯金会館でのテイクを収めたもので、その時点ではまだこの曲はなかった。でも、ライブアルバムを出すにあたってタイトルソングがほしいという、当時のディレクターからの要望があったんです。俺はそんなものはいらないと思っていた。ライブなんだからライブ録音だけでいいじゃないって。
 1981年から続いたツアーが終わった。そして武道館も終わり、アルバムのミックスが終わって、もうくたくただったというのもある。次のツアーがスタートするまでの間が2〜3週間しかなくて、休みたかったんだよ(笑)。
 でもとにかく、その要望に応えてメロディーを作りレコーディングも進めた。たしか信濃町の2スタで町支くんがギターソロのダビングをしているときだったと思うけど、歌詞が出来なくて「書けない!」ってスタジオの壁を思い切り蹴飛ばした。
 とはいえ出来なければレコーディングは終わらない、終わらなければ休暇はこない。なんとか歌詞を書き終えてボーカルを入れて、「あとはよろしく!」ってミックスにも立ち会わずにスタジオを出たのを覚えています。
 そんなふうに作った「ON THE ROAD」という曲を40年近く経った今も歌っているし、俺のツアー“ON THE ROAD”も続いている。ジャケットの話を田島さんとよくしますけど、当時はCGじゃないので、アナログな写真編集の技術でこの画像を作った。それが今もずっとコンサートツアー“ON THE ROAD”の基本デザインになっている。不思議なもんだよね。
 この道は、たぶん州間高速道路の5号線ですね。田島さんはロサンゼルスに長く住んでいた時期があって、そのときに撮ったんだと思う。そののち『J.BOY』のときにムスタングで走る道。
 “Welcome back to The 80’s Part-1” ファンクラブツアーの冊子にも書いたけど、1982年当時、武道館に向かう車の窓から街行く人を見て「誰でもいい、どんな仕事でもいい、彼らの中の誰かと代わりたい」と思っていた。その5か月くらい前には六本木のカフェバーみたいな店の女の子に「俺、来年武道館やるんだよ」って自慢していたのに、実際その日が来たら「誰かと代わってほしい」って(笑)。
 それまでに武道館でのコンサートは一度か二度しか観ていないんですよ。たしかその一回がクイーンだったと思う。その印象が強かった。今と違って、やるのは海外の大物アーティストというイメージだったよね。
 その頃の俺なんか、地方で動員が300人とか500人くらいの時代。東京でも、新宿厚生年金会館を2日間やったくらい。だから「スタンドがガラガラでもアリーナが一杯になればいいよね」と話していた。「観客数はせいぜい3000人くらいかな」って。
 そんなふうに思っていたら、四国かどこかツアー先で「4時間でソールドアウトしたよ」と言われて「……ヤバい」って、とたんプレッシャーがかかってきた(笑)。
 満席にならなくても、注目してくれている音楽ジャーナリストや放送局関係者は何人か来るだろうということで、その人達にアピールして、次からのツアーにそれがフィードバックされたらいい。もともとは、そんなことを考えていて「恥ずかしいステージは出来ない」と思っていたんだけど、完売と聞いて緊張感が高まったんだろうね。
 だから、武道館のステージに上がる前は、今みたいに音楽を楽しむという気分ではなかった。実際には素晴らしい時間が待っていたんだけどね。みんなアドレナリンが出ていて、武道館のテイクはすごくエネルギーがあったね。そのせいで、テンポが今でいう5BPMくらい速い(笑)。
 俺も最初の何曲かは過呼吸みたいになっていて「最後まで出来るのかな」と思うくらい息が苦しかった。そのくらい興奮していた。「このままじゃヤバい、落ち着かなきゃ」って、7曲目くらいでやっと落ち着いて。
 当時34歳の水谷さんもギターで参加してくれて。彼はすでに武道館でのライブを経験していたので、「どうも〜」みたいな感じでステージに出てきましたけどね(笑)。
 「壁にむかって」をオープニング曲に選んだのは、テンポ感、ロック感なんじゃないかな。そしてホーンが生きる曲ということ。武道館公演を発表したときの取材などで「古いチャンピオンをノックアウトするため武道館でコンサートをします」とか「4回戦ボーイだってやれるんだ」と答えたりした記事が今も残っているけど、そういったメッセージは、誰かの創作じゃないかな(笑)。
 その頃の音楽雑誌ってすごく影響力があって、そういうキャッチコピー的なものが必要だった。インタビューでいかに上手に答えられるか、それがうまく見出しなどになって誌面に載るか。そういうことがプロモーションの大切な要素だったと思う。でも、俺はそれが苦手なほうだし、そんなことを言うつもりは全然なかったと思うよ。だって俺自身は古いチャンピオンが誰だとかいう意識は全くなかったしね。
 「いつまでも1000人から2000人クラスの会場にこだわっていきたい。でも、その前に演っておかねばならない場所もある。そこはどこ?」という文章は自分で書いたけど、その気持ちは今もまったく変わらない。コンサートホールでやるツアーが、オーディエンスとバンドの距離感がいちばん合っている。
 姉さんは、スケール感があるアリーナが好きだと言ってたね。両方の意見があると思うんだけど、自分の基本は今もずっとホールツアーだと思う。ファンクラブイベントにしても、大きなところでドーンとやる案もあると思うけど、こうやってホールを細かく回るほうが自分に合っている。
 武道館は客席からステージを観るときより、ステージから客席を見たときのほうが遥かにお客さんが近いと感じました。だから、それほど威圧的な感じではなかったね。

(インタビュー構成/古矢徹)

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