DISCOGRAPHY
10th ALBUMSAND CASTLE
SECL-3010
2003/09/26 REMASTERING
1983/12/01 released
- 01君に会うまでは
- 02君の微笑
- 03散歩道
- 04いつわりの日々
- 05愛という名のもとに
- 06朝のシルエット
- 07丘の上の愛
- 08片想い
- 09陽のあたる場所
- 10愛しい人へ
ロック/R&Bへの回帰を果たし、「好きなことをやる!」とひたすらライブをやり、自らの事務所も設立した1983年。最初に発表されたのは意外にもバラード集。他の歌手に提供した曲を作家本人が歌い直す作品こそあったものの、自分が歌った自作曲の、いわゆる“セルフカバー”アルバムとしては、日本で最も初期のものといえる画期的な発想の作品。
『SAND CASTLE』、砂の城というタイトルの通り、砂が乾いてしまったら、つまり愛情や潤いがなくなったら城は崩れていくという、そういうコンセプトのアルバム。出会いから始まって、恋に落ちて、結婚して、やがて……というね。
もし、俺たちの人生がすべて、出会って恋に落ちて、結婚して、子どもが生まれて、何もかもうまくいってハッピーなままだと、こういうアルバムは出来ないかも。日々の中には光もあれば影もある、そんないろいろが物語になってつながっている。
最初の発想としては、それまでにオリジナルアルバムが8作あってバラード曲もかなり溜まっていたので「スローなラブソングだけをひとつのアルバムに集めたら良い作品になるかも」と、そんな直感的なものでした。
今で言えばセルフカバーということなんだけど、当時はそういう言葉もなかったと思うし、自分自身そういう意識もなかった。何か見本となる作品があって「こういうものを作ろう」ということではなかったしね。
アレンジ、サウンドプロデュースを佐藤準さんにお願いしました。
準さんとはアルバム『Illumination』のレコーディングからのつきあい。水谷公生さんが中心となったセッションで出会ったんだけど、プレイが素晴らしくて、当時はまさか自分より年齢が下だとは思っていなかった(笑)。
準さんのプレイやアレンジの世界観が、バラードを集めたこのアルバムに合うだろうと思ったんですよね。それまでアレンジをしていた水谷さんのギターサウンドとは違う、ピアニストのアレンジするバラードアルバムを作ったらきっといいものが出来るだろうと。
彼は18歳くらいのときに、Charさんや金子マリさんと一緒にスモーキー・メディスンというバンドでデビューした。だから、ロックのテイストも持っているんだけど、もともとはクラシックやジャズから入っているんじゃないのかな。のちにそうした作品を発表されていますよね(※アルバム『彩〜AYA〜』『Chaos』など)。芸術家肌で、音楽に対して真面目で純粋。
1曲目の「君に会うまでは」から華麗なストリングスで、オリジナルとは色合いの異なるアレンジだよね。そして、当時出てきたシンセサイザーの使い方がとても新鮮でした。
プログラミングは浦田恵司さん。シンセサイザー・プログラミングの先駆者的なかたですよね。レコーディングのときの記憶も、ミュージシャンがドラムを叩いている姿などは思い出せなくて、録音ブースじゃなくて、卓のあるこっち側でやっている、プログラミングの作業の印象が強い。シンセの音を作っていたり。
時代もあるよね。自分がそういうレコーディングに慣れていなかったから、よけい印象が強かったのかもしれない。
よく覚えているのは、打ち込みをしているときに水谷さんが遊びにきて、なぜか「僕にやらせて」と言ってやりはじめて、間違えたキーを押してしまった。そこで準さんが「えーっ」という顔をする。「せっかくそこまで打ち込んだのに……」みたいな。水谷さんはいつもの調子で「大丈夫よ!」って(笑)。
打ち込みの印象の強いレコーディングだったけど、じつはミュージシャンもトッププレイヤーが集まっている。ギタリストは今剛さん、笛吹利明さん、鈴木茂さん、安田裕美さん、吉川忠英さん。ベースは岡沢章さんと茂くんの兄弟。そしてグレッグ・リーさん(※ネイティブ・サン、渡辺香津美さんのバンドなどで活躍)。ドラムは島村英二さん、渡嘉敷祐一さん、山木秀夫さん。エンジニアは、まさにこの音に相応しい吉田保さん。
そうそうたるメンバーだよね。……古村くんと青山(徹)くんは俺の推薦。古村くんはこのアルバムの「愛しい人へ」が、俺のアルバムへの初参加。
「いつわりの日々」や「朝のシルエット」のコーラスは沖縄出身のグループのEVE。すっごくソウルフルだよね。今はどうされているんだろう? 俺より歳が上だったから……えっ、下なの?(※1959年1月生まれのレオナさん、1960年1月生まれのクララさん、1960年11月生まれのリリカさんの新里3姉妹)あの迫力だったから“お姉さん達”って感じだったけど(笑)。
そう、“Welcome back to The 70’s”や“The 80’s Part-1”での演奏は、オリジナルのサウンドと『SAND CASTLE』のアレンジをミックスさせたようなものも多い。イントロはオリジナルなんだけど、間奏やエンディングはこのアルバムから、とか。2つのバージョンを合わせる、そういう楽しさもありました。
作った1983年というのは、『Home Bound』でもともと自分のやりたかったロックやR&Bへ戻ってきて、ステージでのバンドサウンドも確立してきてツアーも楽しめるようになった頃。そんな中でバラードアルバムを作ろうと考えたのは、『Home Bound』で始めたことが『PROMISED LAND~約束の地』でひとつ完結したという思いがあって、そのまま次のオリジナルアルバム制作をするのではなく、少し違うものをやってみたいと思った。
直感で作ったアルバムだけど、これがあったからリスナーの幅が広がったと思います。水谷さんがよく佐藤準さんに「準のやった仕事で、これがベストワークだよな!」と言っていて、俺は内心「その言い方はどうかなあ」と思っていたけど(笑)、そう言ってもらえるのはうれしいし、自分で言うのもおこがましいけど、ずば抜けたコンセプト、完成度の高いアルバムだと思います。
誰でも聴けるポピュラリティのあるスタンダードな感じのアルバムになったので、それまでオリジナルアルバムを買ってくれていた人とは違う層のリスナーが聴いてくれたんだと思う。セールスとしても、それまでのアルバムに比べてかなりの枚数だったんじゃない?
そして、それがコンサートにフィードバックされた。それまでの、ロックバンドを聴きに来ていた野郎どもだけじゃない(笑)、バラードを聴いて俺を知った、そういう人達もコンサートに来てくれるようになった。
ジャケットデザインは田島照久さん。このデザインの構図が、その後のバラードセレクションのシリーズ『WASTED TEARS』『EDGE OF THE KNIFE』へと踏襲されていくのも面白いよね。当時は、シリーズ化することなんか全然考えていなかったけど。
そういえば、ロードアンドスカイを設立して最初のアルバムだよね。当時借りていたワンルームの狭い事務所で準さんと俺が、膝を突き合わせるようにして打ち合わせをしていたのを今でも思い出すと、鈴木さんが言っています(笑)。
(インタビュー構成/古矢徹)